2016年11月7日月曜日

お前もこうやが。

土曜日、じいちゃんの家にサングラスにマスクという、いかにもな
風貌の見知らぬ男が侵入していたそうな。

幸い、親戚の方がみつけて逃げていったそうだが、警察もきて
大変だったらしい。

今日、昼ごはんのときにじいちゃんに「もし知らん男が家に入って
来たら、じいちゃんどうするん?」と何気に聞いてみた。

「えっ!そんなもん、なにしょんや!言うが!」
まぁ、、言うわなー。でも最近のそういうたぐいは、やられかねん
ので、変に威嚇して欲しくはない、、、。

意気揚々と杖を持って答えてくれたんで、ついでに。
「ほな、おらが家に入ってきたらどうするん?」

「ほんなもん、こうやが!(拳を突き出す)」



、、、なんでや!いつも行っとるがな、、、。


2016年6月27日月曜日

働きに行くんや

暫くこられてなかったおじいさんは、求人のチラシを握りしめていた。
止めても聞かないので電話をしてもらった。
昭和4年生まれは面接をお願いするのも上から目線。
自身の電話番号も答えられず、当然お断りされる。

「うちで働く?」

「嫌や。お前がうるさいから。」

「そっかー。。。」

途方にくれて、家には帰らないと言い張っていたが、缶コーヒーと
昼ごはんをしっかり食べて、「雨降りの前に」車で家まで送った。

でも、帰ってもまだ、居場所だった自宅のベランダの庭は、散らかったまま。

2016年2月24日水曜日

昨日、峰子さんは吐血をした。
峰子さん自身は、癌は治ったと思っていただけに、
ショックは相当なものだったに違いない。
腹水がたまって、張ったおなかも、便秘が治らないと
ずっと言っていた。
でも、本当は、本当のところをわかっていて、そう思う
ことで色んなものを保っていたように思う。

今日、仕事が終わって、娘さんと一緒に峰子さんに
会いに行った。

よりあいを休むようになって二週間ちょっとの、その間に
明らかに、明らかな雰囲気だった。

もともと、癌の治療を終えて、家でうつうつしていた峰子さん
を心配して、よりあいに来るきっかけをと、娘さんや近所の
方々と、お茶の間でカレーコンサートを開いた。

その時は、一緒に歌って、笑ってくれたし、カレーも食べたし
みんなとちゃんと話もした。
けど、まだ私には早いと、よりあいに通うことにはつながらなかった。

去年、自宅で骨折して入院していた峰子さんに、ちょうど峰子さんも
知っている方と、僕の縁談が決まったことを娘さんが話していて、
退院前の峰子さんに交換条件を出した。
僕の秘密を知った以上、他言されるわけにはいかない。
なので、よりあいに来てもらって他言しないように監視します。

この条件を峰子さんは笑いながら飲んでくれた。
きっと、家族以外からの理由が欲しかったんだと思う。

そんな、不思議な縁のある峰子さん。

今日、どんな顔でいけばいいのか、どんな感じで話せばいいのか、
顔を見るのが怖い自分を、どこかでとりつくろうことで、逃げ場を
考えながら、なんとなく、歌おうと思った。峰子さんがしんどかったら
弾くのはやめようと、また防衛線を考えて。

顔を見たときは、やっぱりさすがにぐっとくるものがあったけど、
こらえていつもの感じで話し出す。顔を見れないまま。
お茶の間での話になって、また歌ったらよりあいにこれるで!
と、大好きな一円玉の旅がらすを歌う。峰子さんも一緒に歌って
右手で拍子をとる。泣きそうになった。
また、よりあいの話や、縁談の話になって、娘さんが手を握りながら
話しているときに、思わず川の流れのようにを歌いたくなり、静かに
弾いていたら、峰子さんもまた一緒に口ずさんで歌ってくれた。

歌はえぇのー。私大好きなんや。歌いよったら嫌なこと忘れられる
しのー。

峰子さんの右目から涙がこぼれていた。
今の状態の人の涙に、嘘や偽りなんてない、混じりっ気のない
純粋な心を見せて頂いた。

今度は、昔カラオケでよく歌っていた、カスバの女と夫婦舟のリクエスト
と、一合まいたと炭坑節で盆踊りを踊る約束をした。

家族は最後まで家で居てもらうことを決められた。
僕は僕の、峰子さんにできることを出来る限りでしていきたい。
そして、音楽はやっぱり続けたい、続けなきゃいけないと、深く深く、
思った。
峰子さんが握ってくれた手は、僕よりも温かかった。
帰る際になって、やっと峰子さんの顔を見て話ができていた。

2015年10月2日金曜日

ここ最近、点滴が入らないことが増えてきて、ふさこさんと息子さん
と話し合って、点滴をやめることにしたそうです。
もう、キミコさんの身体が、それを受け入れられなくなっていたから。

この一年、個人的に人生が大きく変わる出来事があって、キミコさん
に、ふさこさんに、会いに行く口実として、写真や出来事の話を持って
いける事に、あとから自分はそうしたかったんだなと、ふと今日思いました。

ふさこさんとは、ずっとキミコさんの今について話してきていて、「最後まで
おかあさんを家で」と、腹をくくったつもりが、こんなにも揺れるのかと、
メリーさんが最後を迎えた土間で、二人で座って話していました。
今日も帰り際に呼び止めてくれて、静かに今の事を話しだしてくれました。

「どうにかしてあげたい」
その思いで始めた点滴が、今のキミコさんの身体が受け入れられない。
腕は腫れて、内出血の跡が幾つも残った腕をさすりながら、ふさこさんは
「早くからやめておけばよかったね」
でも、その時のキミコさんにとって、口から食べれなくなった以上、点滴が
唯一の命を繋ぐもの。
その時は、どうにかしてあげたかった。

「どうしてあげることもできない」
点滴がのいた今、キミコさんは自然に自らの力で生きていて、わたしらは
どうしてあげることもできない とふさこさんは話しました。

家族とはいえ、自分の命ではない人の命。今までのおかあさんへの想いもある。
覚悟を決めていくには、計り知れない葛藤があると、ふさこさんは話します。

あとからいつも、そんなことない、着替えだって、身体の向きをかえるのだって、
顔や身体を拭くのだって、硬くなった指の間にガーゼを挟むのだって、医師からは
止められているけど、口を湿らす時に季節のものをと桃や葡萄の果汁を口に運ば
れたり、たり、たり、たり、、、、、、、、、、。

僕は、ふさこさんの話しを、ただ黙って聴くことしかいつも出来ません。

ただ、点滴をのける決断をして、医師から2~3日と言われ、それでもなお
揺れているふさこさんの中に、なにかひとつ、凛としたものを感じた今日でした。


2014年10月25日土曜日

季節

もう、こんな季節になったんだな。

いい天気に外で皮を剥いて、紐つけて
そのまま吊るして。

後で眺めて思う、「もうこんな時期」。

柿をお裾分けして頂いたみなさん、
干し柿の手伝いをしていただいた
みなさん、ありがとう。

2014年10月1日水曜日

お風呂の椅子

お風呂の椅子が壊れてしまい、また新しいのを作ることになりました。かれこれ三代目になります。ホームセンターの材料でできます。今回は、足回りを強化して揺れに強くしたのと、接合部分の隙間から水が入ると、中からの腐食が速いので、専用の接着剤で隙間をすべて埋めました。二代目より重くなりましたが、三代目は長持ちしてくれることを願います。
人が使う道具なので、安全第一。

啓三さん、手伝ってくれてありがとね。